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勝山館跡 〜かつやまたてあと〜
勝山館は、後の松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城で、16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・北方交易の一大拠点でした。
現在も継続中の発掘調査により、瀬戸・美濃焼・中国製青磁などの5万点をこえる国内外産陶磁器や金属製品、木製品など10万点余りの出土品、建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。

花沢館跡(国指定重要文化財) 〜はなざわたてあと〜
15世紀ころ和人・渡党(わたりとう)と称される本州系の人々が北海道南部への進出の拠点として築いた道南12館といわれている館のひとつです。

旧笹浪家住宅 〜きゅうささなみけじゅうたく〜
笹浪家は上ノ国で代々鰊(ニシン)漁などを営んできた旧家の一つです。初代は享保年間に能登国笹波村(現石川県珠洲市)から松前福山に渡ったとされ、後、上ノ国に移り住みました。
旧笹浪家住宅は、19世紀の前期に五代目久右衛門が建てたといわれるもので、笹浪家の古文書には安政4年(1857)に家の土台替え、翌年には屋根の葺替えを行ったという記録があります。

上国寺本堂 〜じょうこくじほんどう〜
開基を嘉吉3年(1443)と伝える北海道有数の古刹。本堂の建立年代は、内陣(ないじん)天井の支輪(しりん)に「宝暦八寅年(ほうれきはちとらどし)」の墨書があること、昭和4年の修理時の板札に「…宝暦七年ニ本堂庫裏(くり)一度ニ建立」とあること、虹梁(こうりょう)の彫刻模様が18世紀に一般的に用いられているものであることから、宝暦七年(1757)か八年(1758)の建立であると考えられます。

上ノ國八幡宮 〜かみのくにはちまんぐう〜
上ノ國八幡宮(かみのくにはちまんぐう)は、1473(文明5)年に武田信廣が勝山館(勝山舘)の守護神として創建しました。当初は舘神と称していました。背後の夷王山の山上には海を見下ろす国指定史跡・勝山館跡(かつやまたてあと)があり、発掘作業が進んでいます。

夷王山墳墓群 〜いおうざんふんぼぐん〜
山頂に登ると、かつて日本海交易の出船入船で賑わいをみせた大澗湾や大島、小島が浮かぶ日本海が眼下に一望できます。山裾には、勝山館を中心に住居していた人々の墓であろうと推定される600余もの墳墓が全面に分布し、白い墓標が海風の中に立っています。

比石館跡 〜ひいしたてあと〜
石崎は古名を比石(ひいし)といいます。石崎の集落を二分するように流れる石崎川(早川)の河口の南端に突き出た岬があり、神社と灯台が建っています。この岬の上が比石館跡です。

石崎漁港トンネル 〜いしざきぎょこうとんねる〜
石崎漁港トンネルは北海道庁中村廉次港湾課長の設計で比石館跡と伝えられる岬の下部にトンネルをくり抜きました。長さ45m、幅9mの半円形の断面コンクリートブロック造りで昭和9年6月20日に完成しました。当時は東洋唯一、世界でも珍しいものでした。
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