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旧笹浪家住宅
笹浪家は上ノ国で代々鰊(ニシン)漁などを営 んできた旧家の一つです。初代は享保年間に能登国笹波村(現石川県珠洲市)から松前福山に渡ったとされ、後、上ノ国に移り住みました。
旧笹浪家住宅は、19世紀の前期に五代目久右衛門が建てたといわれるもので、笹浪家の古文書には安政4年(1857)に家の土台替え、翌年には屋根の葺替えを行ったという記録があります。
上ノ國八幡宮
上ノ國八幡宮(かみのくにはちまんぐう)は、1473(文明5)年に武田信廣が勝山館(勝山舘)の守護神として創建しました。当初は舘神と称していました。背後の夷王山の山上には海を見下ろす国指定史跡・勝山館跡(かつやまたてあと)があり、発掘作業が進んでいます。
上国寺
開基を嘉吉3年(1443)と伝える北海道有数の古刹。永禄3年(1560)頃には存在がはっきりするようです。本堂の建立年代は、内陣(ないじん)天井の支輪(しりん)に「宝暦八寅年(ほうれきはちとらどし)」の墨書があること、昭和4年の修理時の板札に「…宝暦七年ニ本堂庫裏(くり)一度ニ建立」とあること、虹梁(こうりょう)の彫刻模様が18世紀に一般的に用いられているものであることから、宝暦七年(1757)か八年(1758)の建立であると考えられます。
勝山館跡
勝山館は、後の松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城で、16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・北方交易の一大拠点でした。
 現在も継続中の発掘調査により、瀬戸・美濃焼・中国製青磁などの5万点をこえる国内外産陶磁器や金属製品、木製品など10万点余りの出土品、建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。
夷王山墳墓群
夷王山はエゾ地の総督・松前候の、かつての居館勝山館の天守閣ともされています。標高159mの山頂には武田信広を祀る夷王山神社(古くは医王社といった)があります。
 山頂に登ると、かつて日本海交易の出船入船で賑わいをみせた大澗湾や大島、小島が浮かぶ日本海が眼下に一望できます。山裾には、勝山館を中心に住居していた人々の墓であろうと推定される600余もの墳墓が全面に分布し、白い墓標が海風の中に立っています。
夷王山神社
夷王山頂に鳥居があり、1457年のコシャマインの戦いでコシャマインを討ったことで知られる武田信広を祀る「夷王山神社」があります。 武田信広は勝山館に八幡宮を建立し、1494年に勝山館にて64歳で死去、夷王山に埋葬され、後の松前氏の祖の一人となりました。
夷王山
標高159mの山頂からは、上ノ国市街はもとより、日本海に浮かぶ奥尻と大島の島影、熊石方向へ延びる海岸線が一望できます。
付近一帯には約500種の山野草が咲き乱れ、エゾヤマツツジの名所としても有名です。
その恵まれた眺望と自然からこの一帯は檜山道立自然公園に指定されています。

登山口より約1.5キロの位置に上ノ国のシンボルタワー夜明けの塔があり、上ノ国クルージングに最適なキャンプ場も完備されています。
また、夷王山祭りやエゾ地の火まつりなどの舞台としても親しまれています。
夷王山キャンプ場
国道228号から町道八幡野1号線を進むと、右手に夷王山キャンプ場があります。夷王山キャンプ場は、檜山道立自然公園内の「緑のふるさと」公園に設置されている施設です。
場内には、森林浴が楽しめる散策路やフィールドアスレチック、木工芸センターなどの施設があり、近くには夜明けの塔など、ファミリーでのキャンプに最適です。またキャンプ場までの道路沿いには、旧笹浪家や上国寺、勝山館跡などの史跡が点在しており、咲き乱れる山野草とともに見学しながら行くのも楽しいでしょう。
夜明けの塔
開基800年を記念して八幡牧野の丘陵地・中世の丘に造られた、上ノ国の シンボルタワーです。
この塔は、中世の環境造形と現代感覚の造形との出会い、太陽や風などの自然と人間との交感を基本テーマとしてデザインされました。
全体の中心をなす塔は二重の八角錘で構成され、螺旋の階段が未来への強い意思を表現しています。
網目模様の外壁は、この地方特有の強い風とさまざまに共鳴して、音色を響かせ、太陽の輝きを微妙に変化させます。
中世の山城の構成要素を現代的に造形化した土塁や柵列が塔を中心に展開します。
「太陽の広場」を囲む楕円の土塁に開かれた三方の道は、冬至、春・秋分、夏至の日の出の方向を示し、塔の中心に立つと、四季の移り変わりを告げる太陽が昇るのを見ることができます。
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