15世紀頃、和人・渡党(わたりとう)と称される本州系の人々が北海道南部への進出拠点として築いた道南12館のひとつです。

その規模は南北に長さ200m、最大幅80m程あり、館直下から頂上部までは約50mの比高差があります。大きくみると、その構造は南から北へ大小6段の平坦部に分かれています。

本道最古の記録である「新羅之記録」には、花沢館の館主 蛎崎季繁(かきざきすえしげ)が武田信広と共に長禄元年のコシャマインの攻撃にも屈せず固く守ったと記されています。 

昭和20年頃、頂上部が耕作された時には約2000枚の古銭が、近年には、後方部より15世紀後半の中国製青磁・珠洲焼のすり鉢などが発見されています。