上ノ國八幡宮

※本殿は拝殿中の奥に収蔵されており普段は見ることは出来ません。

文明5年に武田信広が、勝山館内に館神として創建した社です。

本殿は、明和7年の建立で、北海道内に現存する神社建築では最古といわれています。

大蔵鰊伝説の若宮社を合祀しており、松前家13代道弘、14代章広の書が社宝として伝えられているほか、福井特産笏谷石製の狛犬が社殿奥深く祭神を護っています。 
昭和55年に上ノ国町有形文化財に指定されました。 

~ 大蔵鰊伝説 ~ 

 
大蔵鰊伝説は、松前諸伝説中でも名高い伝説で、鰊神の伝説中第一とされるものであった。 

ある年鰊が全く郡来ず里の人たちが、「このままでは何を食べて生きよう」と嘆いていた。「私が神に祈って鰊を呼びよせよう。その代わりとれた時には私に少しずつわけて下さい。寺の修理をしたいので。」と秀海が言ったので、里の人はそれはたやすい願い事だと約束をしました。

 それにしても旧暦5月も半ば、漁期を50日も過ぎた今どんな祈りも効果はなかろうというのにも「時期はずれに来てこそご利益とというもの」としめ縄を張り廻らし食物を絶って一心に祈った。 

7日もたたないうちにしかべ(アホウ鳥)が汐に集まり、鴎が海面を覆い鯨が大波を起して汐を吹き上げる。これこそいつもと同じ鰊の郡来る前兆である。海の色は真白になり例年以上の大漁に多勢の人が集まり喜びあった。 

かの性曲りの男が「今年は季節が遅れていたのであって生山伏のご利益なんかではない」とお礼も出さなかったため秀海と争いになり、遂に秀海は死んでしまった。 
このことがあってから里の人たちは秀海の御霊を若宮として祀り鰊神と言うようになった。又六月頃秀海の庵のあった辺りに二・三匹の鰊が打ち上げられると大蔵鰊と呼んだ。 

1570年頃から大蔵法印秀海が上国寺の三代目の住職となり八幡宮の別当も兼ねた。上国寺過去帳は秀海を慶長三年(1598)没とし、八幡宮神主小滝長門の文政五年(1822)神社書上の国若宮社を慶長三年創立とする。勝山館の中で最も多く出土する魚の骨は鰊である。この頃既に大切な食料であったことが知られる。 
この辺りを大蔵屋敷と言い若宮社は国道の南側にあった。今は八幡宮に祀られている。